小池泰道、50歳の挑戦!!
1996年2月10日、富夢創家(Tomsouya)起業
1999年秋、中国福建省にてログハウスの製造開始、
2005年春、上海に拠点を移す。
代表者、小池 泰道(博文)の経歴
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博多長浜豚骨ラーメンについて語る
ラーメン大好き小池さん。 |
1960年代初頭、いよいよ日本の高度経済成長が始まるというときに
『がばいばあぁちゃん』で御馴染みの九州・佐賀県で生まれます。
10歳のときに隣りの県の福岡県に一家で引越し。
18歳で父の知り合いの大工に弟子入りし、
夜間大学に通いながら修行。
夜間大学を卒業と同時に大工も年季明け。
ゼネコンの臨時現場監督に就職。
時はバブル景気真っ盛りの時代でした。
当時、250億円の現場はどうでも良かったのでしょうか、
大工修行を終えたばかり、しかも夜間大学卒業の身でありながら
いつの間にか現場の責任者となり、
一日1000人を使う立場の人になっていました。
バブル景気崩壊後、お決まりのように仕事もなくなり
あんなに忙しかったのに・・・
アッという間に、何~んにも仕事がない時代になります。
仕事が無く、蓄えも無くなり、かなり焦りもありました。
次の策で、1996年2月10日に、富夢創家(Tomsouya)を起業
『すてきな街づくり、ゆとり、暮らしづくり』を標榜します。
しかし、思いのほかに工務店の延長では仕事は無く、
一日、一日の拾い仕事を続けます。

失意の中で富夢創家(Tomsouya)をスタート。
転機は当時西日本に160店舗を展開していたホームセンターに
木製の物置の納入が始まったときからでした。
時はガーデニングブームの走りのとき。
バブル経済が去り、世の中がデフレ経済に転換するときでした。
当時は地元で職人といっしょにやっていましたので
キツイ単価になっていましたが、それでも一箇所のお店で、
一ヶ月1000万円以上を売り上げたのです。
ホームセンターで華やかに売上げを伸ばす一方で、
現実はゼネコンの下請けより厳しいかったのです。

『いいものを安く!安く!より安く!!』と
売れれば売れるほど、注目が上がるたびに下がる販売単価。
(特売チラシに入るたびに単価が下がりました。)
しかし、下がる販売価格で、変わらない掛け率。
おまけに応援販売と称する店頭販売が
人件費の増大で経営を圧迫します。
全部が手加工の一品生産でしたので、
やればやるほど利益がないという悪循環に陥り
(この蟻地獄からの脱出を図るために、)
活路を求めたのが海外でした。
当時、海外旅行は一回しか経験が無く、
知人を頼りに、細い細い糸を手繰り寄せながら
行き着いたのが中国・福建省でした。
福建省でログハウスをつくり、一息ついたところで
さらなる販売価格の値下げがあり、
(利益率はそのままで、)
苦労多く実入りが無いので、ホームセンターを撤退。
当時、勢いに乗り、拡大基調のイケイケドンドンでしたが、
潰れるのが目に見えてましたので、決断。
(一部はホームセンターに残り、続けていますが、)
職人たちとも袂を分かつ、苦渋の選択でした。

30歳代後半ではじめて海外に渡ります
(知識もあまりなく、言葉も分からないときでした。)
成長著しい中国と、停滞する日本を比べ
これからの商売は中国になるという印象を持ちます。
時は、自分で企画・製造し、全量自社で販売する
SPAとよばれる加工貿易で成功した
ファーストリティングのユニクロが脚光を浴びるときです。
長年、建設業の経験しか無い私が選択した道は
本格派の自然丸太ログハウスでした。


中国の職人で約八割を完成させ、
日本の職人が仕上げるというハーフ&ビルド工法は
富夢創家(Tomsouya)が先鞭を付けました。

工場生産の割合を高め、現場工期を短縮する
ハーフ&ビルド工法の概念 |
人件費の格差と工期の短縮で利益を出す手法は
デフレスパイラル経済に対応する手段でした。

いまでも現場に行けば上に上がります。
当時、体重は90kg以上ありました。 |

福建省福州市、三明市、アモイ市と周り
遼寧省瀋陽市、浙江省杭州市とまわり
最後に上海市に落ち着く。
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一品一品を丁寧に手作りします。

豪快にチェーンソーでカット!

このカット面が魅力です。

最近の主流はポスト&ビーム工法。
伝統の日本建築の工法との融合で
300年持つ家も可能になりました。
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2008年のリーマンショック以後、景気の落ち込みが激しく
また相次ぐ建築業界の不祥事が直接の引き金になったのか
新築需要は毎年、落ち込む一方です。
毎月のようにある大型倒産。
富夢創家(Tomsouya)は新築の受注を中止。
規模を縮小していきます。
ログハウスの加工をするときに出る大量の木屑やかんな屑、木端。
この木質ゴミを再利用して燃料に変えるのがペレタイザーです。

ペレタイザーTPX001
毎時500kgを製造する能力があります。 |
2008年、ペレタイザーTPX001を発売。
木質燃料ペレットを使ったボイラーを開発。

最大6000Kcalを発生させるペレットボイラー

木質ゴミからエネルギーを取り出し電気を発生させるシステムを
ログハウスに組込むことを考えています。
(これはまだまだ実用化していません。)

2009年、軽トラックに乗るペレタイザーTPZ200bを発売
廉価版で建築廃材の再利用をめざすものの・・・


・・・
憧れの自然丸太のログハウスです。
海や山の景勝地に建つことの多いログハウスの悩みは
都会的な生活になれた都市住民にとっては致命的な
水洗トイレが整備されていないことでした。
そこで富夢創家(Tomsouya)は大学の博士と組み
約7分半でうんちとおしっこを水にするKSCシステムを使った
完全給水(排水なし)型水洗トイレの自社生産を開始。
自社のログハウスに組込むことにします。

給水も排水も不要で、細菌の処理もない、
家庭用冷蔵庫1台分の電気があれば
完全循環型の水洗トイレになります。 |
この水の浄化技術が世界でも珍しいシステムです。
高度経済成長が続き、毎年のように水不足に悩み、
将来は人口の急増で食糧不足が確実と懸念される中国で
政府関係者の目に留まります。
このKSCシステムは、2006年、北京の天安門広場

2008年、北京オリンピックヨット会場

そして昨年の上海万博に採用されたのです。




中国々家からいただいた万博の決議書
この印鑑が葵の御紋・・・とかで

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日本の中小企業・個人商店で、上海世博会2010(上海万博)には
私と富夢創家(Tomsouya)だけが認められたと
関係者からお誉めの言葉をいただきました。
中国との取引11年目、上海在住5年目のことでした。
上海世博会2010(上海万博)に環境トイレを納入後
体調不良になり、とうとう倒れていまいます。
その後、約2ヶ月間リタイア。
これで私の富夢創家(Tomsouya)の第一章が終わります。

上海万博開催中の6月に倒れ、入院を余儀なくされます。
当時96kgあった体重を69kgまで落とすように指導され
徹底的に健康とダイエットに取り組みます。
この2ヶ月間の療養中に読んだ本は100冊以上になりました。

そして2010年9月、現場復帰
激務だった富夢創家(Tomsouya)の仕事を
原点に戻って、自然丸太ログハウスとペレタイザーの貿易関係と
内需が勃興する中国へ進出する企業のサポートに絞り、
私自身は中国々内で出来る事業として
13億3千万人が相手の飲食をスタートします。
富夢創家(Tomsouya)の事業はグッと縮小し
余った力を中国々内事業に注ぐ。
人生、最後の挑戦の始まりです。




これから『味千ラーメン』の二番煎じと言われても
柳の下の二匹目のどじょうを狙う作戦です。
お手本は『味千ラーメン』です↓↓↓

2011年4月末、536店舗。
(上海は約120店舗。)
1995年、北京に第1号店を出店。
2007年、香港株式市場に株を上場。
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富夢創家(Tomsouya)を1996年起業して、今年で約15年目。
創業時のホームセンターとの価格決定権をめぐる主導権争い。
その後、中国に渡り、上海に拠点を持って建設業の加工貿易、
また昨年の『上海世博会2010』参加までの、道のりを思えば
今回、中国々内での飲食業を事業にするのは
(これまで半年間やって、以前と比べて)
さほど困難だとは思いません。
なぜなら毎日、もれなく現金集金できて、
成功者の熊本の『味千ラーメン』があるからです。
小池泰道50歳の挑戦!
いま第二章が始まりました。
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